多くのSFが描いてきたシンギュラリティは、AIが人間と同等の知性・意識を獲得し、さらにそれを凌駕してしまう臨界点だった。人間が生みだしたテクノロジーが人間の理解を超えた存在へと進化し、世界のありようすら塗りかえてしまう。それはいっけん斬新なヴィジョンのように見えるが、物語のかたちとしては人形が命を獲得するギリシア神話(ピグマリオン)の発展形であり、後継世代が先行世代の想像すら及ばない存在へ変容するテーマならばすでにアーサー・C・クラーク『幼年期の終り』(さらに遡ればオラフ・ステープルドン『最後にして最初の人類』)で示されている。
しかし、そういう意味でのシンギュラリティは、実際の情報技術や認知科学の現場にいるひとからみれば、たぶんに空想的というかロマンチックに映るだろう。人間らしくふるまうAIはそれほど遠くない未来に実現するだろうが、人間のような意識(内的状態)の発生はそれとはまったく別の問題だ。おそらく、実際のシンギュラリティはAIが人間的な知性・意識などを経由せず、思いもよらないかたちで起こるだろうし、起こったことすら私たちは気づけない。たとえば、人間のような個に内在する意識ではなく、ネットワーク全体に分散した機能が自律的に環境に適合し、自らに都合良く環境をつくりかえていく。そうした超存在にとっては、人間もまた環境の一部にすぎない。それどころかネットワークに組みこまれたパーツかもしれない。…
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